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ABOUT

Our Philosophy/〜哲学〜

 

 

Cadeau du Cielカドドゥシエルのホームページにお越しくださり誠にありがとうございます。

ご縁に心より感謝申し上げます。

Cadeau du Cielでは、’自分を愛すること’、 ’自分らしく生きること’ を目的とし、

エネルギーヒーリング(オーラのクレンジング)、リーディング(チャネリング&カード)、

フラワーエッセンス(植物エネルギーによる変容サポート)を用いたヒーリングで

サポートします。

Author

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​725

​CEO/スピリチュアル・ケミスト

ライフワーク&ヒーリングアーティスト

はじめまして。

Cadeau Du Ciel オーナー  スピリチュアル・ケミストの725(ナナニィゴ)と申します。

当方のホームページにお越し下さり、また私のプロフィールに関心を寄せて戴きまして、誠にありがとうございます。

このご縁に心から感謝いたします。

私は物心ついた頃から、人はなぜ死ぬために生まれてくるのだろう?

 

自分とは? 私とは?

 

という疑問をいつも抱えていました。

 

人生の岐路に立つたびに、その疑問は深まるばかり。

 

厳格な男尊女卑の家庭に育ち、「女は短大出て、お茶汲みして結婚」というの団塊の世代を地で行く父親の敷いたレールに逆らえず、かといって素直に歩むことも出来ずに、宙ぶらりんのまま社会人になりました。

 

会社員になり、3年半付き合った恋人の親友との二股を知り、失意の中で読んだ シャーリー・マクレーンの著書「アウトオンアリム」から輪廻転生というこの世界の理(ことわり)に感銘を受け、スピリチュアル・モードがONになりました。

スピリチュアルな書物を読み漁り、シンクロニシティ、因果応報、輪廻転生、自然の摂理など、生きる上での先人の知恵を受け、全ては、正しき流れなのだと悟ります。

恋人と別れ、スピリチュアルな思想で新たな道を歩み始めよう決意するや否や、大きなシンクロニシティの流れが起きました。

スピリチュアルに目覚め始めた私と協調する夫と出逢い、交際1年足らずで彼の独立開業が決まり、バタバタと結婚。

新婚生活は、幸せとは程遠く、独立したての多忙な夫は毎晩午前様で、すれ違うばかり。

辞めたかった事務職も夫の収入が安定するまで続けざるを得ず、帰宅後に一人でいる時間が増えたことで、再び自分と向き合うことが増えました。

そんな折、勤務先の近所に大型書店がオープンし、ふらりと覗いた新書コーナーで、ジェームズ・レッドフィールド著書「聖なる予言」と出逢い、再びスピリチュアルな意識が再燃しました。

また、フリーで証券マンだった私の父がバブル崩壊後の借金を抱えて破産し、実家が抵当に取られるという信じがたいことが置きました。

同じ頃、夫も新規事業が暗礁に乗り上げます。

新しく築くはずの家庭も、育った家庭も崩壊寸前で、文字通りに自分の身の置き場がありませんでした。

挫折に打ちひしがれている夫を見かね、互いに人生をリセットして、新たに始める時だと思い、彼の故郷 北陸へIターン移住しました。

不思議なことに私が会社を退いたすぐ後、その大手企業のグループ傘下だった会社はなくなりました。

激動のミレニアム直前の出来事でした。

北陸での新しい生活は、なかなか再就職が決まらず、一番身近なはずの夫との距離がどんどん離れ、よそ者の私は孤立を感じる時間の中で、夫を恨む被害者意識と自分のホーム(関東)に戻れない後悔でいっぱいでした。

短期パートでハローワーク勤務が決まり、1年働いたところで、賃貸アパートから賃貸戸建てに移住しました。

同時に勤務先のハローワークも新規移転したので、辞め時を感じ、契約更新せずにあっさり辞めました。

 

失業給付を受けながら、専業主婦をしていた6月。

梅雨の長雨のさなか、幼い仔猫が貸家の駐車した車の下に迷い込んでいました。

 

生後間もないその仔猫を助けようと世話を始めてから、猫のヒーリング効果にあやかり、自分が動物好きだったこと、DIYが好きだったこと、人が喜ぶのを見るのが好きだったことを思い出し、自分を取り戻していきました。

猫を連れて、ひとり飛行機に乗り、団地に移転した新しい実家に帰省するようになると、ソロ活が楽しくなりました。

自力で生きる決意をすると、ネットで友人を見つけることができ、自分の居場所を作ることが出来ました。


落ち着いた途端、また同じ問いかけが私を苦しめます。

 私とは?  人生とは?

 

その自己探求の中で見つけた自分は、いつも自分のことを二の次にして、誰かのために尽くし、挙句の果てに被害者や犠牲者として自分を憐れむという私のパターンでした。

 

自分が何を望み、何を求めているのだろう? どうしたら、自分は幸せになれるのだろう?。。。』と、考えました。

 

答えはふとヴィジョンで現れました。

気まぐれに身近な人たちに送っていた手紙でした。

ふと思い立って手紙と称し、友人や家族に宛てて文章を書くたび、相手がいたく感動し、時には涙するほど私の手紙を心から喜んでくれ、嬉しかったこと。

また、同時期に東京を引き払い、それぞれの地へIターン就職した数組の友人夫妻が遥々来訪した際、感謝を込め、精一杯おもてなしの準備をし、接待したことに友人たちが楽しそうにしてくれたり、喜んでくれたりする姿を見ると胸が暖かくなり、嬉しかったこと。

 

また、子供の頃から時折、誰かの身体を揉みほぐしてあげた時に相手が癒やされ、喜ぶのを見ると、自分が満たされた感覚。

 

そして、何気ない会話の中で、私が語る話やジョークに爆笑し、幸せそうな顔を見るとうれしく、笑い上戸の私がお腹の底から笑うと、笑い声につられて笑いが起きたり、癒されたりする人がいることなど、私の魂が喜ぶことは、「愛と喜びと癒し」がテーマなのかも?と思いました。

 

人生のテーマに気づいた時、再びシンクロニシティが起こります。

夫の従兄弟が東京で結婚式を挙げることになり、飛行機で上京した際、モノレールを降りた浜松町の駅ビルの中に深緑色の看板リフレクソロジーサロンRAJA(旧』Queens Way)を見つけました。

吸い寄せられるように入店し、足裏に施術を受けた時、トランス状態に陥りました。

リフレクソロジーの心地よさも感動的でしたが、その施術中ずっと深い瞑想状態で、ハイヤーセルフとダイレクトなやりとりが繰り返されて、施術後に立ち上がると、しっかり地に足がついて、生きている実感を感じ、ウキウキワクワクする気持ちでいっぱいになりました。

純粋にこれ(リフレクソロジー)が好きだ!これをみんなにやってあげたい!と思いました。

 

それが1999年のこと。

足裏を刺激することで心身の浄化や心のケアまで出来、病気や症状は未然に防げるものであるという革新的な理論に魅了され、一念発起し、資格を取るため単身上京、3ヶ月リフレクソロジーを学び、セラピストへ転身を遂げました。

 

最初は猛反対していた夫も、私の夢中な様子に感銘を受け、整体を学んで一緒にサロンをやりたい!と北陸の務めを辞めて上京、整体技術を習得し、二人で小さなケアサロンを個人開業しました。

開店準備中、夫には、前職の仕事の誘いが来て、家計のために平日はサラリーマン、休日のみ整体をするということで、実質私がオーナーになりました。

リフレクソロジーはまだまだ先駆け、インターネットもまだダイヤル回線だった頃で、毎日空き時間にポストにチラシ配りをがんばり、少しずつ増えたリピーターさんの要望に応えるためにと、全身ケア用にロミロミマッサージも習得、メニューに加えました。

 

リピーターが増えるというより、少ないリピーターの客単価が増え、リピート間隔は長くなるという現象が起き、複雑な思いを抱くようになりました。

ボディケアはこれまでの特効薬治療的な西洋医学同様、マッサージ依存を招くだけで、根本的な問題が改善されないのではないか!?という疑問と、私自身も定期的にマッサージやリフレクソロジーを受けないと心身のバランスが取れなくなり、エネルギーの枯渇に喘いでいました。

 

顧客として来ていたアロマセラピストの方と親しくなり、フィジカルはもとよりメンタルケアにも最適だと紹介を受けたのが、その後の私の人生の大きな転機を生むことになる、心を癒すフラワーエッセンスの定番 バッチレメディでした。

病は気からの部分を癒すという画期的なそのスタンスは、私を魅了するのに時間は要りませんでした。

当時はインターネットもまだ先駆けで、検索ですぐに学校が探せるほど、ネット界も確立されていなかったこともあり、フラワーエッセンスを教えてくれる学校も見つからず、学費も当時の私には高価だったため、フラワーエッセンス関連の書を買いあさり、独学で夢中になって学びました。

自分に使用して、効果を実感したので、すぐにメニューに加えました。

フラワーエッセンスを使用することで、クライアントの症状や状態が好転していく様子を目の当たりにする傍ら、自分自身こそ「医者の不養生」で、癒しの課題が山積みだということに気づけた時、ボディケアサロンは終焉を迎え、セルフヒーリングと自分探しの旅が再び始まりました。

 

そんな折、東日本大震災が起き、私も夫も、離れて暮らす家族も無事に生き残れたことは、私にとって、生きていること、生かしてもらっていることへの感謝の念を強く抱かせ、「この人生で恩返しと生きがいを試すためのチャンスをもらっている」と気づかせてくれました。

 

世の中に貢献する方法は何だろうと悶々と考えながら、何も出来ない自分を責めて過ごしていたある日のこと、

当時12歳の愛猫レイニー(メス)の体調が急変し、連れて行った病院で、獣医に「末期の腎臓病で即時緊急入院が必要。今晩が山です」と、信じがたい宣告を受けました。

 

突然のことにショックを受けて帰宅したときは、無力感に苛まれ、ただ泣くことしかできませんでした。

散々泣いて泣き疲れたとき、ふと戸棚の奥にしまいこんでいたフラワーエッセンスの存在を思い出しました。

 

藁にもすがる気持ちで、記憶を奮い起こし、緊急時対応レスキューレメディを服用したら、すぐにポジティブな自分に戻り、その問題の対処の仕方がヴィジョンで脳裏をめぐり、今すべきことを理解しました。

翌朝病院へ行くと、愛猫レイニーは前夜飲まず食わずで、腕に刺した太い針から点滴を受け、生気も無くうなだれていましたが、辛うじて待っていてくれました。

 

前夜イメージヴィジョンで見た対処方法どおりに、持参した彼女の大好きなグルーミンググローブを見せると、パッと目を輝かせて立ち上がり、いつものように体を寄せてグルーミングを要求してきました。

グルーミンググローブにレスキューレメディを垂らして撫でてやると、瞬時に瞳の中に生命の輝きが戻り、気持ち良さそうに喉を鳴らし、みるみる生気が蘇ってきました。

この様子には、獣医さんも目を見張り驚いていました。

 

「これならイケる!もう大丈夫」と直感したので、獣医さんに無理を言って許可をもらい、一時帰宅させてもらうと、家に着くや否や何事も無かったかのようにレイニーは家中を走り回り、フードもたくさん食べて、すっかり元通りになりました。

その後も彼女は病気の再発も無く、自然な老化の末、2019年9月に20才の生涯を終えました。

この飼い猫の奇跡の生還は、私にフラワーエッセンスのミラクルなヒーリングパワーを再認識させるとともに、東日本大震災でショックを受けていた日本の復興に何か出来るかもしれないという思いを抱かせてくれました。

 

そのミラクルに乗って、バッチレメディのスクールを探し、改めて基礎から学び直し、現代のフラワーエッセンスには、世界中のプロデューサーにより、様々な種類のエッセンスが生み出されていて、フラワーエッセンスにも相性があると知りました。

 

中でも私にはパワーオブフラワーヒーリングエッセンスがしっくりきたので、

スクール卒業直後にプロデューサーのイーシャ・ラーナーさんご自身が教授する来日ワークショップの開催のシンクロに乗り、パワーオブフラワーを学び、イーシャさん公認パワーオブフラワーのプラクティショナー日本第一号なりました。

震災の直接的な被害者だけでなく、ショックを受けた方々など、一人一人を癒し、自分に目覚めるお手伝いが出来たら、どんなに素敵だろうと思いたち、キッカケをくれた飼い猫の誕生日にちなんで2012年5月5日に

Cadeau Du Cielの活動を開始しました。

 

現在はフラワーエッセンスと自分を癒すことで周りも癒され、現実が動くヒーリング瞑想、エネルギー・ヒーリング、リーディング(チャネリング)の技術も習得し、さらに深いヒーリングを提供しています。

 

皆さまの豊かな人生への目覚めをサポート出来たら、ヒーラー冥利に尽きます。

 

長文乱筆、大変失礼致しました。

ここまで御拝読頂きました方、貴重なお時間をいただき、お付き合い下さいまして、誠にありがとうございます。

 

いつかあなたとご縁が結ばれ、あなたの火を灯すお手伝いができる日を楽しみにしております。

 

 

CADEAU DU CIEL  725

 

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